
左内さぁは大阪で緒方洪庵に医学を学び 江戸では蘭学を学び 梅田雲浜 横井小楠 藤田東湖 西郷隆盛ら 名だたる志士と交流のあった文武両道の俊才でした。特に西郷さんは『君を兄として仕える』とまで言ったので年下の左内さぁは苦笑したそうです。当時から日露同盟論など世界的視野に立った新国家体制建設論は幕府 諸藩の有志を魅了し 一目置かれました。しかし安政の大獄で越前公が処罰されると左内さぁも幕府の糾問を受け江戸伝馬町で斬首されました。享年26才の若さでした。左内さぁの座右の銘を紹介しもんそ。
『急流中底の柱。即ち是れ大丈夫の心』(急流の中でもじっと立っている柱。そのように激動の世の中でも動揺しない信念や態度。それが立派な侍の心持ちなのである)
侍が今 いっばん欲しか心ごわんさぁ。素晴らしか。



