2008年12月

福井藩主松平慶永の若き右腕

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きゅな福井藩士 橋本左内さぁを紹介しもんそ。
左内さぁは大阪で緒方洪庵に医学を学び 江戸では蘭学を学び 梅田雲浜 横井小楠 藤田東湖 西郷隆盛ら 名だたる志士と交流のあった文武両道の俊才でした。特に西郷さんは『君を兄として仕える』とまで言ったので年下の左内さぁは苦笑したそうです。当時から日露同盟論など世界的視野に立った新国家体制建設論は幕府 諸藩の有志を魅了し 一目置かれました。しかし安政の大獄で越前公が処罰されると左内さぁも幕府の糾問を受け江戸伝馬町で斬首されました。享年26才の若さでした。左内さぁの座右の銘を紹介しもんそ。
『急流中底の柱。即ち是れ大丈夫の心』(急流の中でもじっと立っている柱。そのように激動の世の中でも動揺しない信念や態度。それが立派な侍の心持ちなのである)
侍が今 いっばん欲しか心ごわんさぁ。素晴らしか。

南洲庵全国へ

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来年1月23日から25日まで熊本グランメッセに催事で行って参ります。『がね』をアレンジした豚天 鶏天を ひっさげ『薩摩』をアピ-ルしてきます。初めての催事なので不安ですが 『泣こよかひっ跳べ』の精神で気張いもんで。あと日本テレビ系列全国ネットの『歴史を変えた!食べ物語』という番組への出演が決まりました。来週堀越のりさんが取材に来ます。仔細は追って告知しますが 放映予定日は来年1月17日(土)15"30よりです。
皆さん。御忙しい事でしょうが 御自愛しっくいやったもんせな。
チェスト 行け!

武道の『心』を伝え育む

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去る七日鹿屋体育大学で武道の精神や礼法などを再考しようと国際シンポジウムが開かれました。ロス五輪金メダリスト山下泰裕氏や棟田選手 パリ柔道連盟理事長のイブ カドゥ氏 その他国内外の武道関係者が一同に会したそうです。宗教や文化が違う中で武道の精神を どう普及させるか 日常生活で武道を どう実践するか 互いを思いやり尊重する武道精神をもって世界平和を目指してゆく事など 有意義な議論が交されたそうです。我が薬丸自顕流も演武を披露し 『薩摩に自顕流あり』を各関係者に強烈にアピ-ル出来たと思います。同日夜 同門の萩原師範 野元さん 東京道場の佐藤さんが南洲庵に来店して下さり色々と話を伺う事が出来 侍も大変嬉しく思い また大変誇りに思いました。
侍もその場に是非立ち会いたかったです。無念……
しかしそういう会議が鹿児島で催された事を大変嬉しく思います。まさしく侍の目指す『薩摩から世界に武道を発信する』というスロ-ガン通りの素晴らしい催しでした。
『風は南から』ですね。チェスト行け!

勝海舟

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きゅな勝海舟の最期の一部始終を紹介しもんそ。
晩年は徳川家の名誉回復の為 尽力した後 明治三十二年一月 脳溢血で倒れました。七十七才の海舟は 倒れた二日目 妹の順子(佐久間象山未亡人)に 『これでおしまい』と一言だけ最期の言葉を遺して息を 引き取ったそうです。勝さぁらしいというか 人の死に際としては見事という他ありません。大の好色家としても知られた勝さぁは 屋敷中の御手伝いさん達にも 全て手を付けたらしく 夫人たみさんは閉口し 遺言で『頼むから墓だけは勝と別々にしてくれ』と懇願したそうです。
昭和28年 子孫らの配慮により青山墓地から海舟の眠る大田区の墓地に移葬されたそうです。うちの長男海舟も若い女性が大好きです…どうなることやら。

田原坂

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きゅな西南戦争の最激戦地となった『田原坂』の唄を紹介しもんそ。
尚 『美少年』の歌詞の下りは村田新八の子息 村田岩熊だと言われておいます。
『雨は降る降る 人馬は濡るる 越すに越されぬ田原坂 右手に血刀 左手に手綱 馬上豊かに美少年 山に屍 川に血流る 肥薩の天地秋悲し 泣くな吾が妻 勇よ男子 戦地に立つは今なるぞ 西郷隆盛 御偉い御方 花の吹雪に笑うて立つ 西郷隆盛話せる男 国の為なら死ぬると云うた』
またぐわんそ。
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